2024.10.11
本作で美術を担当したのは安宅紀史さん。1999年に映画『月光の囁き』で美術監督デビュー後、『モリのいる場所』『さかなのこ』『スパイの妻 劇場版』などこれまで80を超える作品を担当しています。監督が想い描く世界観を丁寧に具現化させ、沖田修一さんら映画監督も絶大な信頼を寄せる日本映画界を代表する一人です。今年の公開作だけでも5作品の映画美術を担当し、『ぼくのお日さま』がカンヌ国際映画祭、『Cloud クラウド』そして本作『HAPPYEND』がヴェネチア国際映画祭にて海外でも高く評価されました。本作が劇映画デビューとなった空音央監督も初めて会った際に「親船に乗ったような安心感を抱いた」と語っています。そんな安宅紀史さんが本作の制作秘話を明かしてくれました。
本作の主軸となるのはXX年後の日本、いわゆる近未来に生きる高校生たち。
近未来というワードからはどこかS Fめいた景色が連想されますが、劇中に映し出される未来は社会の変化は感じさせながらも、高校も、自宅も、街も、現在と地続きのリアルな質感を伴っています。監督が準備した資料に加え、事前に監督の好きな映画の話も聞くことができた為、作品のイメージは共有しやすかったそうですが、本作においては「近未来」というイメージをいかに「作品内のリアル」として表現するかが重要だったと話し、「あくまでも現在のほんの少し先、又はほんの少し歴史が違うような『並行世界としての日本』というコンセプトで最終的な世界観を監督と共に作っていきました。小道具もどちらかというと普遍的な物、家具や飾りもあまりデザインされすぎて無いものを中心にと考えました」とそのリアルさの秘密を明かしてくれました。
本作は、一部を除きほぼ全てのシーンが神戸で撮影され、物語の中心となる、ユウタとコウたちが通う高校のシーンは実際の高校を借りて撮影が行われました。その中でもキーとなるのが作品の前半で登場する「音楽研究部」の部室です。深夜に忍び込んで音楽に浸ったり、ふざけ合ったり、どこか窮屈な社会の中で、主人公たちの唯一の拠り所となる重要な場所。部室はなかなか良い空間が見つからず、最終的には壁とパーテーションで空間を仕切って作られました。学校内の整頓されたグレートーンの空間と差を出すために、広すぎず、狭すぎない、彼らだけの親密な、ある種無秩序で色のある空間にすることを目指し、とあるアイディアが浮かんだそう。「折角実際の高校で撮影しているのなら、劇中の彼らと同年代の生徒の皆さんにグラフィティや落書きを書いてもらうのが良いのでは、と思い、恐る恐る先生方に相談しました。快く賛同頂き、沢山の生徒さんに参加して貰いました」自由な雰囲気が欲しかった為細かな指示はしなかったそうですが、想像以上に雰囲気と躍動感のある部屋に仕上がったと話し、その完成度に自信をのぞかせました。
また、ポスタービジュアルでも使用されている歩道橋の場面。学校の登下校時に2人が通り、そして分岐点も匂わせる物語の象徴的な場所でもあります。ここでは架空の地名の看板を作成したといい、「設定的にはコウの住む地域は比較的生産労働者の多い地域、ユウタの住む地域は頭脳労働者中心の高所得層が住む地域で、意識せずとも自ずと階層が分かれているようなイメージにしました」と幼馴染2人の細やかな違いが表現されています。このように隅々まで徹底した美術づくりにより、観る者は物語の世界観に引き込まれます。
今回初めてタッグを組み、その完璧な仕事ぶりに改めて感銘を受けたという空監督は安宅について「いつもは非常に穏やかで物静かな安宅さんが、出来上がった現場のディテールを見せてくれる時、目を輝かせて興奮している様子を見て、本当に映画が好きな方なんだなと感じました。その瞬間、こんなにも映画を愛している人と一緒に仕事ができたことを改めて実感し、心から光栄だなと思いました。」とコメントを寄せ、共に映画を作り上げた喜びを滲ませました。安宅紀史さんの確かな技術と映画への情熱は作品の世界観を現実に立ち上がらせ、観客の意識を物語の中へと誘ってくれます。
【空音央監督コメント全文】
最初に安宅さんとお会いした際には、すでに脚本や映画のビジュアル資料を見ていただいており、彼のこれまでの素晴らしい仕事もいろいろな映画を通してよく知っていたため、今考えると、あえて言葉にする必要がなかったかもしれませんが、「引き絵を大事にしたい」という思いだけは、強く伝えたことをよく覚えています。その時、安宅さんも「任せてください」と言わんばかりの表情をされていて、その瞬間、僕は親船に乗ったような安心感を抱いたのを覚えています。
安宅さんは基本的に、作業中の現場を見せてくれません。初めは不思議に感じましたが、初めて安宅さんが手がけたロケセットに足を踏み入れた時、その理由がわかりました。完成したセットは、すでにそこにあったロケーションと完璧に同化しており、どこからが作り物でどこからが元々あったものか判別がつかないほどに、映画の世界観が現実として立ち上がっていたのです。それを目にした瞬間、安宅さんが作業中の現場を見せない理由は、まだ未完成の状態ではそのリアリティに穴が空いてしまい、映画のイメージが崩れてしまうからだと理解しました。その完璧な仕事ぶりに、改めて感銘を受けました。
いつもは非常に穏やかで物静かな安宅さんが、出来上がった現場のディテールを見せてくれる時、目を輝かせて興奮している様子を見て、本当に映画が好きな方なんだなと感じました。その瞬間、こんなにも映画を愛している人と一緒に仕事ができたことを改めて実感し、心から光栄だなと思いました。
安宅さんが空監督と共に丁寧に紡ぎ、スクリーンに浮かび上がらせた青春映画の新たなる金字塔『HAPPYEND』を、ぜひ劇場でご覧ください!